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脱北女性が北朝鮮での生活を激白……トイレ紙は“トウモロコシの皮”で風呂は「年に1回くらい」



 ネプチューン・名倉潤、次長課長・河本準一、歌手・華原朋美がMCを務め、ゲストからあらゆるジャンルの“裏話”を聞き出すトーク番組『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京)。5月11日のオンエアーは「今知らなくてはならない『北朝鮮』SP」と題し、北朝鮮の内情に詳しいジャーナリストや脱北者がその実態を証言した。

 この日はまず、北朝鮮に精通するビデオジャーナリスト・石丸次郎氏が入手した1998年頃の映像を公開し、「この映像はですね、おそらく世界で初めて北朝鮮の内部の事情が撮影された映像です。1998年の江原道(カンウォンド)の元山(ウォンサン)というところで撮影されたもの。まさに飢餓が一番ひどかった時ですね」と、解説。ビデオには、子どもが穀物売り場で落ちているお米を集める姿などが映っていた。

 すると、ちょうど98年当時の北朝鮮で暮らしていた脱北者のキム・アラ氏が、「この映像はまさに昔の私を見るようでした。私も市場で物を拾って、トウモロコシの粒でも見つけたら、すぐに口に入れました。映像を見たら、自分と友達の姿が重なりました」と、切り出した。キム氏は幼少期から北朝鮮で激しい貧困に苦しみ、わずか11歳の時に両親に捨てられて家を失い、ホームレス生活を送っていたという。そんなドン底だった北朝鮮の暮らしから、見つかれば殺される可能性もある中、12歳で国境の川を泳いで渡って脱北を果たしたのだった。

 キム氏が「私が北朝鮮にいた時は、栄養をとるために、ネズミや蛇、虫まで食べていました。良い香りがする土があるんですが、それをパンのように丸めて焼いて食べるほど、食べ物がありませんでした」と過酷な日々を振り返ると、名倉はキム氏が住んでいた地域について質問した。キム氏は「咸鏡北道の会寧市(ハムギョンプクトのフェリョン)」に住んでいたと話した上で、「その当時は平壌(ピョンヤン)でも同じ状況だったそうです」「町にはたくさんの人々が倒れていたり、リヤカーには死体が積まれ、運ばれることも日常茶飯事でした。倒れている人を見て“寝ているのかな”と思っていたら、実は飢え死にした人だったこともあります」と言及。2ページ目へ