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【ヨソで言わんとい亭】元男闘呼組・前田耕陽が明かす激ヤバ裏話! 激太りの真相、ジャニーズ時代のMAX年収は「3000万ちょっと」



 3月24日深夜放送の『ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~』(テレビ東京)に元男闘呼組の前田耕陽が出演し、ジャニーズ事務所に入ったきっかけから、当時のギャラ事情などを包み隠さず語った。

 1980年代にジャニーズからデビューしたロックバンド・男闘呼組は、当時のジャニーズとしては珍しい本格派ロックを自ら演奏するスタイルで一躍大ブレイク。前田はリーダーを務め、他にはHey!Say!JUMP・岡本圭人の父である岡本健一や、現在俳優として活動する高橋和也らが所属。男闘呼組は、結成から約10年の1993年に活動を休止しており、前田はジャニーズからも退所している。

 番組レギュラーの次長課長・河本準一が「ジャニーズに入ったきっかけ」を問うと、前田は「学校の女の子が、全校生徒の男子の履歴書をジャニーズ事務所に送った」と、驚きのエピソードを告白。小さな学校だったため男子は全部で150人ほどだったそうだが、女の子は150枚の履歴書を送り、それがきっかけで前田はジャニーズに入所することになったという。前田は「たまたま僕が間違って受かっちゃって」と謙遜したが、150人の中で受かったのは1人だけだったとか。

 書類選考を通過した前田に、ある日ジャニー喜多川社長から直々に「ジャニーだけど」と電話が掛かってきたそう。そして、「今トシちゃん(田原俊彦)のコンサートをやってるから新宿まで来い」と呼ばれ、そこでジャニー社長と初対面。コンサート後、「今度こういうグループを作ろうと思うんだけど、君ヤル気ないか?」と誘われたのが、男闘呼組だったという。前田は小学生の頃にピアノを習っていたことから、キーボードに任命。河本が「なんで(ジャニーさんは)バンドやりたいって思ったんですかね?」と聞くと、前田は「当時ね、バンドブームだったんですよ。イカ天(『三宅裕司のいかすバンド天国』TBS系、1989年~1990年放送)って番組があったし、チェッカーズが凄い人気で」と説明した。

 その後、男闘呼組は「DAYBREAK」(1988年)や「TIME ZONE」(1989年)などが大ヒットしたが、デビュー前のメンバーは楽器の練習のために毎日“缶詰”にされていたそう。前田は「学校終わったらスタジオにね、缶詰にされるんですよ。夜の10時から朝の5時まで」「外から鍵がかけられるんです」と、拘束されていた日々を振り返った。いくら練習のためとはいえ、「最初のうちは、夜中に練習なんかしたくねぇよななんて言って、ただただ喋ってた」とのこと。しかし、「2ヶ月もすると喋ることもなくなってくる」「じゃあちょっと練習しようかってなって、それから一生懸命練習するように」なったそうだ。

 また、前田は練習はすべて独学で行っていたと言い、「皆でいろんな音楽聴いて、『ココこんな風にやるんじゃねぇか』とか(話し合って練習した)」と語った。河本は「スタートが難しすぎる」「(事務所のスタッフは)ただ単に鍵しめるだけですやん。ほったらかしすぎるというか……」と驚愕。それでも、「でもジャニーさんはあれなんですね、完璧に仕上げてから出すんじゃなくて、それも考えさせるんですね」と感心したが、前田は「見切り発車もいいとこですよね」と苦笑した。

 しかし、男闘呼組は、当時「(楽器を)弾いてない」「アイツら楽器できない」といった疑惑が噂されていたそう。もちろん実際はちゃんと弾いていたが、イベントにゲスト出演した際、自分たちの順番になった時に停電により電源が落ちて音が出ず、「やっぱアイツら弾いてねぇんじゃないか」「噂通り」などと言われてしまったんだとか。2ページ目へ