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覚せい剤に30年間依存、フラッシュバックの恐怖……『ミヤネ屋』で元依存症者が“薬物地獄”の日々を告白



 井上さんは16歳で大麻とシンナーに溺れ、18歳で上京した際に覚せい剤を使用。メガネケースで注射器を持ち歩き、駅のトイレなどで毎日使用するようになったという。幼少期は、いつも人の目が気になって人と関わることが怖かったが、不良グループに入ると「自分まで強くなれた気がした」とのこと。大麻はその不良グループの仲間から「やってみないか?」と誘われ、グループから離れたくなかったため、使用。その後、シンナーを興味本位で吸い、夜の仕事をしていた18歳の頃に出会った男性から覚せい剤を勧められたそうだ。

 当時は「楽しい薬」「痩せれる薬」との誘い文句で覚せい剤を使用し始めてしまったという井上さん。覚せい剤が“無くてはならないもの”になった時期について「連続使用が続いていくうちに、もう起きるために使うようになるんですけど」と話すと、宮根は「え、起きられないんですか、まず」と質問。井上さんは「まず、布団の中から出ることができないんですよね。(体が)しんどくて。で、こう注射器で(覚せい剤を)体に入れると、元気になって仕事に行けたり……っていう風になってしまいました」と、告白した。

 一方の一森さんは、父の再婚で家庭に居場所がなく、不良グループ入り。「すごく厳しい家庭だったので、居場所がなかなかなくて。真面目にしなければならないとか。そういう窮屈の中で、不良グループっていうところがすごく自由に振る舞ってるところで。そういうところに憧れて」と、回顧した。中学1年生でシンナー、3年生で大麻を経験し、後に覚せい剤を使用。断るという選択肢はなく、仲間と一緒に覚せい剤を使用することによって、自分がその居場所で「受け入れられた」ような感覚に陥ったそう。さらに水商売を始めて18歳から24歳まで毎日使用していたが、しばらくすると「(覚せい剤を)打たなければ布団から出て来れない状態」に。脱力感、倦怠感から脱却するために体に覚せい剤を打ち続けたという。

 一森さんはこれまでに4回逮捕され、服役経験は3回ある。1回目の逮捕は24歳の時で、70kgあった体重が48kgに激減。この時は覚せい剤を打つと、ご飯を食べずに水のみで生活しても「大丈夫」という気分になっており、電柱が刑事に見え、追跡妄想や被害妄想が激しくなっていったとのこと。一森さんは「僕は18から(覚せい剤を)始めて、20歳くらいから幻聴・幻覚が聞こえてくるようになって。まぁ、覚せい剤っていうのは“違法薬物だ”っていう自分の認識もありましたので、常に誰かから監視されているような、警察から追われているような。外に出ると電柱が刑事さんに見えて」と、幻聴や幻覚に苦しんだ日々を明かす。3ページ目へ