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山咲千里、55歳でヘアヌード写真集に挑戦した理由は「閉経して、自由になるために……」



 ネプチューン・名倉潤&次長課長・河本準一がMCを務めるトークバラエティ『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京)。4月9日放送回は女優・山咲千里がゲスト出演し、“ボンデージ写真集”が売れた当時の金銭事情や、ヘアヌードにチャレンジした背景を語った。

 山咲は、1979年に放送されたNHK連続テレビ小説『鮎のうた』のヒロイン役として、16歳でデビュー。以降は『スチュワーデス物語』(TBS系、83年放送)といったドラマだけでなく、『日立 世界・ふしぎ発見!』(同)や、『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)など、バラエティ番組でも活躍。そんな彼女は92年、29歳で発売した写真集『ANOTHER SKIN』(スコラ)でボンデージファッションを披露し、それまでの“清純イメージ”を覆した。

 スタジオでもボンデージ写真集のカットが公開され、河本が「この時は、結構キワドイ……」とつぶやくと、山咲も「こういったコスチュームを目立たせるものをやるっていうので、大変、周りの方に危ぶまれまして。『そっち(セクシー)の方向に行くって、どういうつもり?』(と心配された)」と、回顧。週替わりMCのタレント・熊切あさ美が「ってことは、自分から“そっちの方向に行きたい”と思って(写真集を)出したんですか?」と尋ねたところ、「そうですね。方向っていうか、今で言う『コスプレ』ですね。“コスプレって楽しそうだな”って思って。SNSも何もない時代で、ただ単に“着てみたかった”っていうだけなんですけど」と、シンプルな動機を述べた。

 男性陣は「でも、ちょっと“SMチック”じゃないですか?」(河本)、「そう、そうなのよね」(名倉)と発言したが、山咲も当時、周囲から「そういう表現したら、“そういう人だ”と思われるけどいい?」と確認されていた模様。結果的にも、「イメージがもうこの(ボンデージの)イメージやもんね」(名倉)と、山咲にはその印象が定着したようだ。一方、90年代は大物女優たちによるヘアヌード全盛期であり、「これ(ボンデージ写真集)、最初、予算出してもらえない企画だった」とのこと。

 山咲は「同時期に、オールヌードを出す方々がいたので、こういうボンデージのものを着ると予算がかかるワケですよ。衣装代が。莫大な金額だったので、それが。(イギリスの)ロンドンまで作りに行った。予算がかかっている分、発売した当時は、誰も成功するか、どうか(分からなかった)」と、振り返った。自分だけが「楽観的な意見」で、応援してくれる人がいなかったため、「ものスゴい孤独でした。“これ、もし(失敗したら)、どうなるんだろう?”って恐怖も(あった)」というが、猛反対を押し切って上梓したボンデージ写真集は、売り上げ63万部の大ヒットを記録。そこで、河本は「相当、結構なお金をいただいてらっしゃったんですか?」と、投げかけた。[続きを読む]