You are here:  / お笑い / その他 / バラエティ / 女性タレント / 男性タレント / 元日本テレビ・伝説のプロデューサーが振り返る、明石家さんまの“ありえない一言”とは?

元日本テレビ・伝説のプロデューサーが振り返る、明石家さんまの“ありえない一言”とは?



 ネプチューン・名倉潤&次長課長・河本準一がMCを務めるトークバラエティ『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京)。3月19日放送回には、日本テレビの元プロデューサー・吉川圭三氏がゲスト出演し、大物芸人・明石家さんまの逸話を語った。

 吉川氏は、1982年に早稲田大学理工学部を卒業後、日本テレビに入社。以降は女医でタレントの西川史子、フリーアナウンサー・小林麻耶ら数々の女性タレントを輩出した『恋のから騒ぎ』(1994年4月~2011年3月)や、30年以上続いている『世界まる見え!テレビ特捜部』(ともに日テレ系)を手がけてきた“伝説”のプロデューサーだという。週替わりMCのタレント・熊切あさ美が「名倉さんは、ずっとお仕事を一緒に?」と話を振ると、「いやいや。一緒というか、もう僕らなんかはお見かけする程度で、(ビート)たけしさんとか、さんまさん、所(ジョージ)さんとやられていた方やから。本当にスゴいんですよ!」と、紹介。

 その上で、名倉が「なんで(この番組に)来たんですか?」と聞けば、吉川氏は『じっくり聞いタロウ』の前身番組『くだまき八兵衛』(10年4月~12年9月)の頃から「好きだった」「“お呼びが来たな”と思って……」と、打ち明けた。一方、この日のテーマは「業界の裏側大暴露SP」とあって、さっそく河本が「明石家さんまさんと初めてお会いになった時っていうのは?」と本題を切り出すと、「フジテレビにずっと(視聴率で)負けていたんですよ、我々。日本テレビは3位ぐらいで」と、回顧。当時のフジテレビは『オレたちひょうきん族』(1981年5月~1989年10月)『なるほど!ザ・ワールド』(1981年10月~1996年3月)『森田一義アワー 笑っていいとも!』(1982年10月~14年3月)といったバラエティが全盛の時代で、他局の人々からすれば、「非常に屈辱的な状況だった」とか。

 続けて、吉川氏は「昼、日本テレビに出社すると、『笑っていいとも!』の金曜日かなんかにさんまさんがワーッと出て来て。スタジオアルタのオープニングに遅れて、タモリさんとの2人トーク。有名なところあるじゃないですか。その(遅刻の)理由を喋るだけで、30分の立派なコーナーができていて。呆然としたんですね。“その日に起こったことを面白く喋っている”と。“スゴい人が出て来たな”と。で、ある日、ご下命が下ってですね。抜く(視聴率で勝つ)ために、フジテレビから才能ある人を連れて来ないといけないじゃないですか」と、説明。そこで、吉川氏と、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』を担当していた日本テレビ元プロデューサー・菅賢治氏、現在の同社社長・小杉善信氏に白羽の矢が立ったそうだ。

 こうして一大プロジェクトを任された彼らは「TBSのラジオにまず通ったんですよね。毎週、さんまさんがラジオに出てるんで」と、熱心にさんまのもとへ。「麹町で(タクシーの)東京無線に乗って、TBSに行くんですけど、まったく僕らと目も合わせてくれないし、声もかけてくれない。それが1年間続くんですよね」と裏話を明かすと、MC陣をはじめ出演者は「えー!」と、ビックリ。冷たい態度をとられ、「絶望感にかられて毎週行ってた」(吉川氏)ところ、思いもよらぬ転機が訪れたようで……。[続きを読む]