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【KinKi Kidsのブンブブーン】ビビる大木とジョン万次郎を学ぶ! 光一が「懐かしい」「ビックリ」と食いついた剛の愛用品とは?



 剛からは「飲んでるかな? コナ・コーヒー」と疑問の声も漏れてしまうも、「まぁ、でも話を聞いてこうコナを飲むと、味わいは変わりますね。やっぱり」(剛)、「美味しいね」「学校もこういう授業にしてくれたら楽しいのにね」(光一)、「いいよね」(剛)と、途端にリラックスするキンキ。大木が「それ待ってました!」と喜んだ後も、「授業でたとえば、こういう風に入ってくると、体でも、匂いとかいろんなことで覚えれるから」(剛)、「1回リフレッシュして。『よしっ、もう1回先生の話聞こう』ってなるもんね」(光一)と好反応を示しており、大木なりの演出は2人にハマったようだった。

 大木の授業に戻り、「ようやく(万次郎は25歳で)土佐清水の故郷へ帰ることになります。お母さんに『ただ今帰ってまいりました』っていうことになるワケですよ」「お母さんはだからもう、12年帰ってきてないんで、“死んだ”と思ってたんで」と述べると、「お母さん、嬉しかったやろうね」と感動する剛は「俺、なんかもう、その時の感じ思い出したら、涙出てるわ……」と、取り出したタオルで目元をおさえた。すると、そのタオルに見覚えのあった光一が「あっ、あれっ!? それ懐かしいな! “名和タオル”じゃない!」と、リアクション。これは、俳優・柳楽優弥をゲストに迎えた5月4日放送回にて、女子プロボウラー・名和秋にもらった“名和タオル”。剛が淡々と「はい。愛用してるんで」と返す横で、光一は「ビックリしちゃったな~」と、笑顔を見せていた。

 そして、3つ目の「ジョン万次郎伝」は、「坂本龍馬にも多大な影響を与えたアメリカの民主主義」。万次郎の帰国後、アメリカでの生活を聞き取り、絵師・河田小龍が描いた『漂巽紀畧』(ひょうそんきりゃく)には、アメリカの文化について「蒸気機関車が走っている」「大統領選挙があり、自分たちで国のトップを選ぶ」などと記されていたが、大木は「それを後に龍馬が読むんですよ。万次郎と龍馬は、会ったという証拠はないですが『龍馬がこれを読んだ』という話はあるんで。ここで龍馬は、いよいよ万次郎が持ち帰ってきた民主主義を、これを通して知っちゃうワケですよ。『え~!? 向こうは日本みたいに世襲じゃないのか。将軍は! 俺たちで選んでいいのか! そういう時代が来ているのか』っていうのをここで龍馬はやっぱ火をつけられるんですよ。そういう影響力を持ったんです」と、力説した。

 キンキはそれぞれ、「ということはさ、本当に元をたどれば、今のこの日本の社会のシステム、ジョン万次郎おらんかったらなってへんって話」(光一)、「ジョン万次郎さんは、偶然にというか、奇跡というか。いろいろなものの連続で、こういう人生を送ることにはなったけれども。ちゃんと故郷に帰って、“お母さんにもう一度会いたい”とか、その情の部分があることによって……」(剛)、「それがなかったら、“俺ここでいいや!”ってなってた」(光一)、「持ち帰れてないから、そこもまた人柄が影響してのってことですよね。スゴいなぁ~」(剛)と、万次郎の生き方に心を動かされていた。

 さらに、大木は「万次郎が日本に戻って来た2年後、ようやくこの人が日本に行きます。こちら! 黒船ペリー!(マシュー・ペリー)。だから今までの十数年の話は黒船ペリーが来る前の話なんですよ、全部。となると、アメリカのこと、世界のことを知っている日本人は、もう万次郎なんですよ。すべて知っている、と。英語を話せる男が万次郎。『じゃあ、通訳は万次郎しかいないんじゃないか』となって……。ですが、別の殿様が『俺たちが英語分からないとなると、あいつはアメリカに都合のいい通訳したらどうするんだ!』『アメリカのスパイだったらどうするんだ』っていうことで。急に怪しまれてメイン通訳から外されちゃう。せっかく持ってたもの(英語)が使えなくなっちゃう」と、解説。

 しかし、以降の万次郎は現在の東京大学の英語教師を務めたといい、「小笠原諸島の開拓とか。日本の領地になるかどうかとか、そんな調査も全部、万次郎さんがやったりしながら。まぁ、晩年はちょっと病気もしまして。最期は、銀座にあります、ご長男のお家で人生を終えることになります。それが71歳」(大木)と、振り返った。ここまできたところで、光一が「えっ!? (話が)飛んだね!」と指摘し、剛も「そのペリーのくだりとか、もうちょっと聞きたかったし……」と、落胆。とはいえ、駆け足になったのには事情があり、「私ね、『資料館の名誉館長』って言いましたけど。俺よりも、さらに万次郎さんに詳しい方に今日は来ていただきました!」と呼び込み、1人の女性が登場した。

 大木が「お名前の方、お願いします」と促すと、女性は「中濱京と申します」と、あいさつ。キンキは「ええっ!?」(光一)、「中濱さん、来た!」(剛)、「ちょっと待って! えっ!? えっ!? えっ!? まさかの!?」(光一)と仰天し、中濱氏が万次郎の子孫(直系五代目)だと聞くと、改めて「今、ゾワっとした~!」(光一)、「ゾワっとしたねぇ~」(剛)、「まさかこの授業で、“こんなゾワッとする”と思いませんでしたよ」(光一)と、2人して自身の腕に触れていた。

 一方で、中濱氏は「皆さんご存じの勝海舟も、万次郎と大変、友好がありまして」と、かつて2人が通っていたという、うなぎ屋の「鰻やっこ」(浅草)を紹介。続けて、「万次郎は、外食して残したものは必ず持ち帰っていたそうで、“ケチな万次郎”と思われていたんですね。でも、そのお店の者がずーっと万次郎の後をつけて行ったら、大変貧しい人たちに、その残りものを与えて。しかも、親しく話し合っている姿を見て、驚いたっていうことで。その心の中にあるものは、ホイットフィールド船長から授かった、隣人愛。周りの人を助ける精神っていうのが、“万次郎がアメリカから受け取った一番大切なものである”と、我が家でずっと伝わっているお話です」と、語った。[続きを読む]