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【KinKi Kidsのブンブブーン】ビビる大木とジョン万次郎を学ぶ! 光一が「懐かしい」「ビックリ」と食いついた剛の愛用品とは?



 KinKi Kids・堂本光一&堂本剛がMCを務めるバラエティ『KinKi Kidsのブンブブーン』(フジテレビ系、9月7日放送)に、お笑いタレント・ビビる大木がゲスト出演。幕末の偉人・ジョン万次郎(1827~1898年)に関する特別授業を行い、キンキの前で熱弁をふるった。

 毎回、ゲストのリクエストに沿った企画を実現している同番組。今回は“日本史好き”の大木が、幕末から明治維新を駆け抜けたジョン万次郎を徹底解剖するという。撮影場所は学校の教室風のセットで、大木が教壇に立ち、光一と剛は一番前の席に横並びで座っていた。さっそく、「ちなみに、『幕末』って聞くと、誰か知ってる人いますか?」(大木)と質問が飛ぶと、光一は「そりゃ~、幕末といえばやっぱりみんな大好き、みんな誰でも知ってる……。トーマス・グラバー(トーマス・ブレーク・グラバー)ね!」と、即答。

 しかし、大木は「いやいや、最初に出てくる名前じゃないから。トーマス・グラバーは。長崎に住んでましたけども。普通、“坂本龍馬って来るのかな?”っていう雰囲気だったから」と、苦笑い。トーマス・グラバーは「キリンビール」発売の功労者だっただけに、光一は「グラバーいなかったら、ビールが日本になかったかもしれない」と称え、その勢いに押された大木も「『グラバー園』とか、長崎行ったらありますけども。グラバーも、日本の明治維新で大きな役割を果たしたのは、確かに事実です!」と、情報を補足した。

 次に「剛くん、どうですか?」(大木)と尋ねると、「新選組」との一言が返ってきたため、大木は「そうそう! ホントだから、新選組とか、坂本龍馬とか、西郷隆盛とか。あの辺が要は、みんな同時代を生きてる時代です。幕末、江戸時代の終わりから明治の……という。中でも、“この男を知ってもらいたい”という人を、今日ちょっと授業させてください」「ジョン万次郎! 名前は聞いたことありますか?」と、進行。これに対し、光一が「あれ、中濱さんですよね?」と本名を出した瞬間、大木は「そうです! 光一くん、詳しいね!」と、驚きの声を上げた。

 当人は「ちょっとだけね」と謙遜するも、大木はトーマス・グラバーの発言を思い返して「万次郎の名字がサラッと出てくる、グラバーがサラッと出てくるあたりは、もう……初心者じゃねぇーな! っていう感じ」と、称賛。続けて、「当然、先ほど名前出た坂本龍馬も、(万次郎に)大きな、大きな影響を受けてます。私、この男に惚れ込みまして。『ジョン万次郎資料館』の名誉館長に(就任した)」「高知県の土佐清水市にあるんですけども。好きでその、プライベートでここに行ってたら、『そんなに好きなら名誉館長やりますか?』って(オファーを受けた)」と、万次郎への愛を貫いた結果、栄誉あるポストを任されたと語った。

 そんな大木が魅了されたジョン万次郎こと中濱万次郎は、1827年1月1日、現在の高知県・土佐清水市で、貧しい漁師の家の次男として誕生。幼い頃より生活のために働き、14歳の時に漁に出て遭難してしまうが、運良く無人島に漂流。たまたま食料の調達にやって来たアメリカの捕鯨船(ジョン・ハウランド号)に助けられるも、この時の日本は鎖国の真っ只中。外国船は日本に近づけず、アメリカに向かい、当時16歳の万次郎は日本人初のアメリカ合衆国上陸を果たす。乗組員になっていい働きをした万次郎は周囲に認められ、船長・ホイットフィールドも彼を息子のように思い、一緒に生活するほどだったとか。

 その後、万次郎は捕鯨船で世界を渡り歩いたものの、まだ鎖国の中で、日本へ帰国。以降はアメリカで学んだことを日本に伝え、新しい時代のために尽力。幕末・明治維新を語る上で、日本とアメリカの懸け橋となった万次郎は、忘れてはならないキーマンなのだ。こういった万次郎の歴史を知り、剛は「スゴい奇跡の連続というか……」と、感激した様子。大木は「この人の一つ、面白いところは、龍馬とか西郷さんみたいに、武士じゃないんで。政治に自ら関わっていくとか、立身出世の物語があって国を動かしたってことではなく、“民間人が(望んでいないのに)偉大な影響力を持ってしまった”というね、ちょっと不思議な話なんです。この激動の人生を、詳しく今日はご紹介したい」と、告げた。

 大木が挙げた「ジョン万次郎伝」は、「助けてくれたホイットフィールド船長が一緒に暮らし、最新の教育を受けさせるほどの愛情を注いでくれた」「鎖国の日本に危険を冒してまで帰国した一つの理由は愛しいお母さんに会うため」。キンキに向けて、万次郎が上陸したとされる浜(現・沖縄県の糸満市)の写真が公開された際には、大木が「全部(自分で)訪れてますから!」と、胸を張った。また、「(万次郎は)アメリカで生活してたんで、飲み物がコーヒーなんですよ。沖縄着いた時に、『自分でコーヒー淹れた』っていうんですよね。『ちょっと一服させてくれ』っつって」と、エピソードを明かした大木は「休憩したいですよね?」と、キンキに確認。

 光一&剛は突然の振りに戸惑っていたが、「どうせならこの万次郎さんが一服淹れたというコーヒー(を飲みましょう)。おそらくハワイ(経由)で来ているので、“コナ・コーヒー”を自分で持ってたんじゃないか、と……」と、説明。大木の言葉の意味を理解した剛は「俺、コナ・コーヒー好きなんですよ」と乗っかり、「良かった! じゃあ、その万次郎さんが飲んだであろうコナ・コーヒー、どうぞ!」(大木)の合図で、2人のもとにコーヒーカップが運ばれてきた。[続きを読む]