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保阪尚希、『じっくり聞いタロウ』で全盛期の衝撃月収&通販番組で大儲けの現状を告白



 保阪は13歳でスカウトを受け、芸能界入りを決意。実は自身が7歳、妹が2歳の頃に両親が無理心中で他界しており、妹のために「できるだけ早く働きたい」と、思っていたという。しかし、「7歳じゃないですか。稼ぎ……サラリーを取れるまで長いんですね、道のりが」と語ったように、すぐに働き出せる年齢ではなかった保阪。「たまたま祖母がいて家があったんで、いわゆる施設とか行かなくて済んだんですけど、“どうやってお金を稼ぐか”ってなった時に、“寿司屋さんとか大工さんとか、いろんな職人さんが早いだろう”(と思った)。要は、学歴いらないから」と、当初は職人の道を考えていたといい、河本も「手に職をつけた方が早い」と、理解した。

 そんな中でも「音楽がスゴく好き」だった保阪は、中学生になると頻繁に地元・静岡から新幹線で東京・渋谷まで通っていたそう。名倉が「金どうしたんですか?」と確認したところ、「(アル)バイトをしてたんですよ。熱帯魚が大好きで、熱帯魚屋さんでバイトしてた」と話し、河本は「ええ熱帯魚屋さんやな。そこも雇ってくれて……」と、しみじみ。保阪は「お金をいただいてたんで。それで渋谷に来て、よくライブを観ていて……。たまたま渋谷でスカウトされて。37年前なんで、13歳の時」と、振り返った。

 こうして中学1年生で芸能界デビューした保阪は、多くのドラマに出演。河本が「保阪さん、なんでそんなにバンバン(ドラマに出ていた)?」と、順調に役者の仕事を得られていた理由を質問すると、本人は「ちょっと変わってたんでしょうね。“毛色が違う”っていうか……。やっぱりアイドルの方はパーマを巻いて、“ジャニーズパーマ”を巻いて(いたが)、僕はその頃からロン毛で。ストレートだったし、暗い役が多くて、どっちかっていうと“人が嫌がる役”をずっとやってきた」と、回答。

 保阪は「僕らの仕事って、下世話な話、“CMを取りに行く仕事”」だと前置きし、「自分を企業として考えたら、利益率の高い仕事をするべきじゃないですか。そうするとCMって1日(の撮影で)1~2年分稼ぐので。そういう意味では、そこ(CM)を狙って行くためには“イメージが悪い仕事はしない”っていうのがセオリーなんですよ。その席を取りにいくために」と、解説。「僕はそういうイメージの悪い仕事(役)ばかりやってたんで、バッティングがなかったんですよ」と続けると、河本は「なるほど」と、納得した。

 ドラマで“いい人”の役をやればイメージアップに繋がり、ギャラの良いCMに起用される可能性が高くなるものの、保阪はあえてイメージの悪い役を引き受け、ドラマや映画で大活躍。結果として、保阪は福山雅治、萩原聖人とともに「平成の新御三家」と呼ばれ、1990年代後半には超高額のギャラが貰えるようになったとか。保阪が「その頃って、もうホントにバブルの絶頂期なんで、僕らが出るとだいたい、テレビドラマ1時間で500万円くらいってのが相場(だった)」と告白すると、金山は「え~!?」と驚愕し、河本は「1時間(500万円なら)……。月2000万円」と、計算。

 さらに、河本が「それを何本もやってる人ももちろん(いた)?」と聞けば、「そうです。僕らも掛け持ちは当たり前なんで」(保阪)とのこと。スギちゃんが「その頃は何本くらいやられてたんですか?」と質問を重ねると、保阪は「MAXで6本掛け持ってました。1クールに」と答えたため、番組は単純計算で「MAX月収1億2000万円」と、伝えた。一方で、河本は「稼いでても、使う暇まったくないじゃないですか?」と想像したのだが……。[続きを読む]